台風がすごいですね。
さて、スマホ購入から約3週間経ちます。
あまり専門的な知識はありませんが、自分が感じたことを書いてみます。
購入したのはソフトバンクの009SHという機種。
僕としては、非常に便利に感じました。スマホ買ってよかったと。
同キャリア同メーカーの006SHよりスペック(数値上)は落ちてますが、実際の使い勝手としてはかなり向上しているんではないでしょうか。
画面もサイズダウンしていますが、これ以上大きかったらちょっと持ち運びが面倒かなぁって感じなので。
Androidは反応が遅いと聞きましたが、僕にとってはあまり気になるレベルではないです。
(iPhoneは店頭で触ったくらいなので、それと比べてどうかはわかりません)
これも機種がいくつか出されたところで改善されてきているということでしょうか。
知り合いのAndroidの機種でメールを打ったことがあるのですが、その時は確かに非常に打ちづらかったです。
でも、現在のは従来の携帯のように連打することも可能ですし(今はスライドさせる方法を使いますが)、慣れてしまえばあまり困らないように思います。
そう考えると、店員さんが言うように最近出ているテンキー付っていうのは画面の小ささとかからしてもあまりオススメできないかなぁっていうのはわかる気がします。
僕としての印象は、よくいわれているように「電話というよりパソコン」ですね。
小さいパソコンに電話っていうアプリがついてると考えた方がいいです。
アプリを多く起動していたりして、フリーズが携帯に比べて多い点っていうのもパソコンらしいですね。
何より、パソコンに慣れてる人は慣れがはやいのかなって思います。
Androidは初期状態から機能がそろっているっていうわけじゃなくて、アプリをダウンロードしたりして、自分が使いやすいようにカスタマイズしていくものですね。
じゃぁ最初に入れるべきアプリ教えてよ!ってことになりますが、
オクトバというサイトに載ってるので是非そちらをご覧ください
http://octoba.net/archives/20110501-android-first-app.html
あと、電池は1日が限度かなぁと思います。
まだまだモバイルバッテリーは高いですが、持っておけば安心ですね。
自分が使ってるのはELECOMのモバイルバッテリーなんですが、USBの穴が小さいのと大きいのが2つついているので、これ自体に充電するときは普通に充電する感じで充電して、スマホに充電する時はスマホを購入したときの付属品についてる短いUSBケーブル(パソコンとスマホをつなげられるもの)を使えばいけます。
色々言ってきましたが、とにかくTwitterやGoogleアカウント(Gmailなど)を利用する人にはスマホはいいんじゃないかなと思います。
地図も本当に助かりますしね。
デメリットとしては、慣れないと使いにくいところと、フリーズが多くなってしまう点ですかね。
あとはちょっとサイズは大きめですし、電池は切れやすくて、ウィルス対策も一応必要(iPhoneはアプリが公式で出てるから大丈夫?)
なんてとこですかね。
Wifiとか使えれば快適でめっちゃいいです。
あ、そういえばGmailでメールしあうことがあって、通常の電話帳にも連絡先が入ってる場合ってメールアドレスが優先的に表示されるんですね(Gmailが優先される?)
前に相談されてたんですが、僕もなっちゃいました笑
詳しい原因はわからないのですが、とりあえずの解決策を。
「Garlic電話帳」というアプリを使えばGmail側で連絡を取り合ってるアドレスも表示されます。
アプリ内で問題のアドレスを検索して、そのアドレスを選択して、名前を変更(正確にはないので追加?)すれば一応は問題が解決されるはずです。
パソコンでGmailにログインしてそっちで変えても直るのかもしれませんが、それは試してないのでなんともいえません。
2011年9月21日水曜日
2011年9月20日火曜日
2歳になりました
2歳っていうのは僕の骨髄の話です。
本当は当日書きたかったんですが、バタバタしてしまったので、今書いてみようと思います。
去年は自動車免許とかあってあまり自由に動けなかった感じですが、それに比べて今年は結構自由にできたんじゃないかなぁと思います。
体力は入院前よりは全然ですが、かなり戻ってきました。
日焼けは移植後は特に良くないはずなんですが、去年よりあきらかに日焼けしております笑
体重も退院後の46kgから59kgまで増えました。高校の部活引退するころの体重くらいです。(一番多い時は+8kgくらい)
ちょっとずつでも筋トレを続けてる効果が出てきたかも?
ラグビーもちゃんとできるようになりたいし、まずは来年2月の東京マラソン移植者10kmをしっかり完走できるようにがんばりたいと思います。
体調面の変化というのはもちろんですが、精神的にもいろいろと変化が起こっているような気がします。
この二年間(濃いのはここ一年かな)、いろいろな人に会ったなぁと思います。
大学の友達もそうですが、STAND UP!!からつながって多くの人にお会いしました。
ツイッターの絆JAPANのみなさんともまだ直接お会いしたことはありませんが(近いうちにでもお会いしたいですね)、
実際僕が白血病という病気にならなければ出会わなかった人たちばかりです。
あの時つながっていなければ…と考えると、やっぱり一期一会だなぁと思いました。
Facebookで紹介したと思いますが、三浦大知の「別れのベル」という曲にこんな一節があります。
”人は出会う、だけどいつかはお別れのベルが鳴る
人は気付く、もっと大事にしたかったものを
次がないときもあるって事を
もう旅立った君を思ってしまう事を”
その時の出会いを大切にし、真剣に向き合うこと。
これは人だけでもなく色々な物事にも当てはまりますよね。
いろいろな人との出会いに感謝し、今自分が生きていることに感謝し、いろいろなことに真剣に向き合いたい。
言葉にするのは簡単だけれど、なかなか実行し続けるのは難しいことです。
だからこそ、心の中で意識し続けたい。
いつもありがとう。これからもよろしくお願いします。
2011年9月19日月曜日
リレーフォーライフinちば
STAND UP!!の行事として、リレーフォーライフinちばに参加してきました!
9月17日12時~18日12時開催でした。
今回は15人程のメンバーが参加しました。
開始前には土砂降りで、どうなることかと思いましたが、始まってみれば快晴。
逆にものすごく暑くなってしまって、そのあたりはなかなか過酷でした^^;
このイベントは仲間同士と長時間過ごすということはなかなかないですし、がん患者は24時間闘い続けているのだから、がんに打ち勝ってほしいという思いを込めながら歩くというのはすばらしいイベントだなと思います。
参加したRFLは去年の新横浜・東京、今年の千葉と3つ目となりましたが、今回のところは周回数の表示板を貸していただけることもあるせいか、どのチームもものすごく歩いている(走ってるところもある)印象がありました。
確か一番歩いたところは600周以上(1周250m)だとか。だいたいのところが400~500周。
STAND UP!!は200周歩きました。無理をしないで仲間と過ごす時間を大切にしようと思っていたので、うちのチームとしてはかなり歩いた方じゃないかなと思います。
でも、夜の涼しくなったころに走ってる人も多くいて、僕はマラソンの練習も含めて走ってみるのもいいなぁなんて思いました。
いろいろありましたが、とにかく楽しくていいイベントになりました!
千葉の実行委員や参加者のみなさんにも暖かく迎え入れていただいてとても感謝してます。
次回はSTAND UP!!として千葉に参加するかはわかりませんが、個人としても参加したいと思いました。
参加してくれたメンバーもありがとう!
今回チームリーダーをやってみて、もっと面白くできる点がいっぱいあったと思うので、次回はもっと良いものにできるんじゃないかと思います。
9月17日12時~18日12時開催でした。
今回は15人程のメンバーが参加しました。
開始前には土砂降りで、どうなることかと思いましたが、始まってみれば快晴。
逆にものすごく暑くなってしまって、そのあたりはなかなか過酷でした^^;
このイベントは仲間同士と長時間過ごすということはなかなかないですし、がん患者は24時間闘い続けているのだから、がんに打ち勝ってほしいという思いを込めながら歩くというのはすばらしいイベントだなと思います。
参加したRFLは去年の新横浜・東京、今年の千葉と3つ目となりましたが、今回のところは周回数の表示板を貸していただけることもあるせいか、どのチームもものすごく歩いている(走ってるところもある)印象がありました。
確か一番歩いたところは600周以上(1周250m)だとか。だいたいのところが400~500周。
STAND UP!!は200周歩きました。無理をしないで仲間と過ごす時間を大切にしようと思っていたので、うちのチームとしてはかなり歩いた方じゃないかなと思います。
でも、夜の涼しくなったころに走ってる人も多くいて、僕はマラソンの練習も含めて走ってみるのもいいなぁなんて思いました。
いろいろありましたが、とにかく楽しくていいイベントになりました!
千葉の実行委員や参加者のみなさんにも暖かく迎え入れていただいてとても感謝してます。
次回はSTAND UP!!として千葉に参加するかはわかりませんが、個人としても参加したいと思いました。
参加してくれたメンバーもありがとう!
今回チームリーダーをやってみて、もっと面白くできる点がいっぱいあったと思うので、次回はもっと良いものにできるんじゃないかと思います。
2011年9月10日土曜日
自分の命
今月16日で骨髄移植から2年が経過します。
一番鋭く刺さるのは、宣告された時である。
その時ショックに感じることはいくつかあるだろうが、何が一番ショックかというと「自分は死ぬのか」ということだろう。
ただ、僕にとってはそれは一番ではなかった。どちらかというと、これから先しばらく病院に自分を縛られてしまうことの方が怖かった。
「がん=死の可能性」ではあったが、「がん=死」とは感じていなかった。
それは自分が強いのか、ただ単に自分の命が大切と思っていなかったのか。
おそらくどちらでもない。僕は強いわけでもないし、自分の命を失うことは怖いと感じないことは絶対にない。
ではなぜだろうか。それはおそらく父親ががんになったことは大きく影響している。
僕が中学3年だった5年前の受験シーズン。父親はまだ40代半ばであったが、すい臓がんを宣告された。
手術は十数時間に及ぶものであったが、数年の抗がん剤投与を経て現在復職している。
実は手術から戻ってくるのを病院の待合室で待っていたのだが、その時僕は父ががんであるとは知らなかった。
知った時期というのは明確にはわからないが、おそらく半年~一年以上後の話だろう。
当時は病気についてはぼんやりとは聞かされていたが、明確にがんとは言っていなかったし、僕は受験を控えていたせいか深く聞くことはなかった。
ぼんやりと聞かされていたことであまりその時のショックがなかったのと、父が今も元気に生きているということはとても大きな影響を与えたと思う。
また話そうか迷ったが、友人や知人の死があったのも影響しているのかもしれない。
友人が亡くなるのは当然ショックであるが、同時に感じるのは「人生何があるか本当にわからない」ということである。
がんは死ぬ可能性が高まるのかもしれないが、生きる可能性もある。
逆にがんでなくても人にはいつだって死ぬ可能性はある。
知人がブログに書いていたが、「死を迎えるときに、自分が幸せだったと思って死を迎えたい」というのはとても重要なことではないだろうか。
このように考えてみると、生きるとは、「死ぬ時に幸せだったと感じるまでの道程」なのではないだろうか。
「生きるとはなんなのか」と考えてしまえば、同じ病気の戦友やいろいろな人が亡くなる度に「なぜ自分が生きているのだろうか」「自分は彼らの代わりに生きるべきだったのか」とマイナスに考えることは僕にもよくある。
しかし、「死」ということを考えたときにこそ、生きることの価値を見いだせないだろうか。
当たり前なことなんてない。一日一日が奇跡である。
幸せだったと感じるために、日々後悔しない生き方をしたい。
また当日あたりにそのことについては改めて書こうと思いますが、生きるということについて再確認するためにも、自分にとって死とはなんなのか考えながら書いてみたいと思います。
白血病やがんなどの重大な病気になれば、その時特に自分の「死」について考えてしまう。
一番鋭く刺さるのは、宣告された時である。
その時ショックに感じることはいくつかあるだろうが、何が一番ショックかというと「自分は死ぬのか」ということだろう。
ただ、僕にとってはそれは一番ではなかった。どちらかというと、これから先しばらく病院に自分を縛られてしまうことの方が怖かった。
「がん=死の可能性」ではあったが、「がん=死」とは感じていなかった。
それは自分が強いのか、ただ単に自分の命が大切と思っていなかったのか。
おそらくどちらでもない。僕は強いわけでもないし、自分の命を失うことは怖いと感じないことは絶対にない。
ではなぜだろうか。それはおそらく父親ががんになったことは大きく影響している。
僕が中学3年だった5年前の受験シーズン。父親はまだ40代半ばであったが、すい臓がんを宣告された。
手術は十数時間に及ぶものであったが、数年の抗がん剤投与を経て現在復職している。
実は手術から戻ってくるのを病院の待合室で待っていたのだが、その時僕は父ががんであるとは知らなかった。
知った時期というのは明確にはわからないが、おそらく半年~一年以上後の話だろう。
当時は病気についてはぼんやりとは聞かされていたが、明確にがんとは言っていなかったし、僕は受験を控えていたせいか深く聞くことはなかった。
ぼんやりと聞かされていたことであまりその時のショックがなかったのと、父が今も元気に生きているということはとても大きな影響を与えたと思う。
また話そうか迷ったが、友人や知人の死があったのも影響しているのかもしれない。
友人が亡くなるのは当然ショックであるが、同時に感じるのは「人生何があるか本当にわからない」ということである。
がんは死ぬ可能性が高まるのかもしれないが、生きる可能性もある。
逆にがんでなくても人にはいつだって死ぬ可能性はある。
知人がブログに書いていたが、「死を迎えるときに、自分が幸せだったと思って死を迎えたい」というのはとても重要なことではないだろうか。
このように考えてみると、生きるとは、「死ぬ時に幸せだったと感じるまでの道程」なのではないだろうか。
「生きるとはなんなのか」と考えてしまえば、同じ病気の戦友やいろいろな人が亡くなる度に「なぜ自分が生きているのだろうか」「自分は彼らの代わりに生きるべきだったのか」とマイナスに考えることは僕にもよくある。
しかし、「死」ということを考えたときにこそ、生きることの価値を見いだせないだろうか。
当たり前なことなんてない。一日一日が奇跡である。
幸せだったと感じるために、日々後悔しない生き方をしたい。
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