先日再放送も終わり、ネット上や周囲の反応などを見ての印象、自分の考えの変化を書きたいと思います。
まず、これは主にネット上の話になると思いますが、総合的に見て「がんは自分とは関係がない」と思っている人が多いなと感じました。
このあたりは、全てのことに関心を持つことは不可能ですし、仕方ないことだとは思います。自分自身そんなことは多くあると思います。
ただ、多くの人ががんにかかる時代ですし、自分のためにも少しくらいは現状を知っておいたほうが良いのではないかと思います。
これに関しては、地道に情報を発信していくということが大切なんだと思います。
あと、自分が病気であったことを打ち明けた時の反応に関して。
同情という名の差別、という言葉に違和感あるということを何度か聞きましたが、今考えると確かに違和感があるかもしれないと感じました。どういう意図なのかは詳しくはわかりませんが。
いきなり場の空気も読まずに打ち明ける人はほとんどいないと思いますが、場面によっては言わなければいけないことは多々あります。
その時にかけられる言葉は色々あると思いますが、どの言葉がいいのかっていうのは人によると思うんですよね。
「大変だったね」というのが嫌だったり、逆にそれが一番良かったり、「がんばったね」が嫌だったり、それが良かったり。
がん以外でも、かけられたら嫌な言葉、逆に良いと思う言葉はあるでしょうし、そこは一緒だと思います。
病気だった経験を糧にしたい人や、忘れ去りたい人様々ですよね?
自分の経験全てを相手が理解することは不可能だし、だからこそ自分にとって貴重な経験だったとも考えられるわけで、そこは自分でどう捉えるかだと思います。
「かわいそうに」という言葉も含めて、かけてくれる言葉は自分を心配してくれているんだと思います。
でもやっぱり「かわいそうに」というのは、自分の人生全てをひっくるめて(全てを知ってるかのように)不幸だと決めつけられている気がするから良くないですね。
結局いろいろなケースがあるので、そのあたりの悩みを打ち明けられるような場ができることが一番最善なのかなと思います。
それよりも、病気になった時点でクビを切られてしまったりする就労の問題や、結婚の問題など、「がん」という言葉を出した時点でシャットアウトしてしまうような現状があることについては違うんじゃないかと思いますし、そこは訴えていくべきなのでしょう。
前にも言った通り、そこに「事実と認識のギャップ」は存在すると思うからです。
その人の状況や人柄など全体を考慮した上で結論を出すべきだと思います。
理不尽なことはいろいろあると思いますが、だからと言って全て許してしまえば何も変わりませんからね。
最近、番組を見ていただいた方から頂いた言葉や時間の経過によってかはわかりませんが、少し自分が病気であったことの捉え方が変わってきたように思います。
なんか自分では吹っ切れたつもりでいても、どうしても縛られてしまっている感じがありました。
STAND UP!!の表紙にもある「がん患者には夢がある」という言葉を改めて見て、そういえば自分の夢ってなんなんだろうと思ってしまいました。
「自分がやりたいこと」を考えることに固執してしまうのは良くないと思いますが、もう少し考えてみることも大切かなと感じています。